Klipschの
マイルストーン
Klipschは、創業者ポール W. クリプシュをはじめ、業界内で優れた才能と情熱を持った熟練した人材を擁して、70年以上にわたり自社内で製品の設計・開発を行ってきました。このパイオニアであり異端児たちが、家庭で音楽を楽しむ全く新しい方法を生み出した経緯を紹介します。
1904年
3月9日、インディアナ州エルクハートでオスカー・コールマン・クリプシュとミナ・パール・エディの一人息子として、オーディオ機器の伝説的人物ポール W. クリプシュ(PWK)が誕生。
1930年代
南米チリで電気機関車のメンテナンスの仕事をしていたポール W. クリプシュは、アマチュア無線への情熱を絶やすことはありませんでした。そして、ラジオのホーン型とコーン型スピーカーを比較しているうちに、ホーンの優れた効率性に気づいたのです。
その後、スタンフォード大学の大学院で、同級生の1人が「スピーカーはコーナーに置いた方が良い音がする」と助言したこともあり、アーカンソー州ホープにある軍のSouthwest試験場に勤務時代、コーナーホーン型スピーカーの設計を改良。彼の士官宿舎を訪れた人々は、その臨場感あふれる再現性に驚き、彼にスピーカーの会社を起業するよう勧めたのです。
1938年
ホーン型スピーカーは能率が高く、コーナーで鳴らすと音質が良くなるというアイデアを基に、Klipschorn®の原理試作品を開発。
1945年
ポール W. クリプシュはKlipschorn®スピーカーの設計で特許を取得し、事実上、オーディオのHi-Fi時代が幕開けしたのです。
1946年
クリプシュは「Klipsch and Associates」という会社を設立し、アーカンソー州ホープのトタン小屋でKlipschorn®スピーカーの販売を開始。地元のキャビネットメーカーとBoldwinピアノ・カンパニーが、最初の20台のKlipschorn®スピーカーの製造をサポート。
1948年
クリプシュはアーカンソー州ホープの元々は軍のSouthwest試験場の電話交換所だった建物を取得して最初の工場とし、キャビネット組立として最初の従業員となるロイド・マクレランを雇用。ここで製造された最初のKlipschorn®には121の番号が与えられました。
現在、この最初の工場はKlipsch博物館となっています。
1957年
ポール W. クリプシュが、事実上世界初の市販センターチャンネル・スピーカーであるHeresyスピーカーを発表。その1年後、この実験的なスピーカーはベルギーのブリュッセルで開催された万国博覧会で展示されました。
現在も、米国アーカンソー州ホープでHeresy IVとして製造されています。
1963年
ポール W. クリプシュは舞台芸術部門向けにLa Scalaスピーカーを設計。その後、このスピーカーはアーカンソー州知事候補のウィンスロップ・ロックフェラーが拡声スピーカーとして使用しました。
1977年
ポール W. クリプシュは、スピーカー設計と歪み測定への貢献により、オーディオ・エンジニアリング・ソサエティ(AES)で2番目に名誉ある賞で権威あるシルバーメダル賞を受賞。
同年、500ポンド(200kgオーバー)のMCMスピーカーを発売し、業務用スピーカーラインを強化。コンサート会場や映画館での使用を目的として設計されたMCMスピーカーは、家全体を揺るがすほどの十分なパワーを発揮したのです。
1980年代前半
すでに映画館がKlipschorn®を使用して観客を魅了していたと思われる頃、Klipschはジョン・アレンにMCMシステムを納入することで正式に業務用スピーカーの劇場市場に参入。
アレンは、Klipschのスピーカーを使用することで、劇場のサウンドトラックの「デジタル」オーディオ空間を初めて確立したのです。
1983年
ポール W. クリプシュがオーディオの殿堂入りを果たす。
1989年
85歳になったポール W. クリプシュは、Klipsch and Associatesを従兄弟でインディアナポリスの実業家フレッド・S・クリプシュとその妻ジュディに売却。製造工場はアーカンソー州ホープに残ったが、事業運営はインディアナ州インディアナポリスに移転し、社名はKlipsch Inc.へと変更された。
1997年
ポール W. クリプシュは、トーマス・エジソン、ジョージ・ワシントン・カーヴァー、ライト兄弟などと同じく、エンジニアリング・アンド・サイエンスの殿堂入りを果たす。エンジニアリング・アンド・サイエンスの殿堂とは、工学や科学の原理を応用した実績により、人類の生活の質を向上させた人物を表彰するためのものです。
1999年
Klipschは、世界初のTHX®認証取得コンピューター・スピーカー・システムを発表。249ドルのProMedia v.2-400は、マルチメディア・スピーカーに対する評価を一変させたのです。
2000年
Klipschはインディアナポリス北西部に現在の本社を移転。また、社名をKlipsch Audio Technologiesに変更。
事業を引き継いだ従兄弟のフレッド・S・クリプシュは、インディアナ・ハートランドの製造部門における2000年度アーンスト・アンド・ヤング・アントレプレナー・オブ・ザ・イヤーに選出されました。
2001年
Klipschは、2つの無響室、デジタル測定器、エンジニアリング・モデル試作室、工業デザインラボを備えた、アメリカ中西部で最も先進的なオーディオ研究施設の一つとなるエンジニアリング・テクノロジーセンターの建設に着手。
2002年
5月5日、オーディオ界の伝説的人物ポール W. クリプシュが98歳で死去。妥協を許さぬ完璧主義者として知られ、生涯で23件の特許を取得。
2004年
2004年の国際コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)において、ポール W. クリプシュは、コンシューマー・エレクトロニクス協会(CEA)が2000年に創設した「コンシューマー ・エレクトロニクス殿堂」入りを果たしました。これは、コンシューマー・エレクトロニクス業界の発展に貢献した人物の創造性、忍耐力、決断力を称えるために創設されたものです。
2005年
市場初のiPodドッキング可能なホームステレオシステム iFiを発売し、iPodアクセサリー市場に参入。
Klipschは、グローバルな成長を加速させるため、デンマークのブランドであるJamoを買収。1年後、同社はMirage®、Energy®、Athena®スピーカーブランドのメーカーであるAudio Products International(API)を買収。
2009年
5月、Image S4ヘッドホンを発表。当時、これは同社史上最も成功した新製品の一つとなり、S4iは、iPhone 3GS、iPod touch、iPodの音楽およびビデオコンテンツを完全にコントロールできる初のサードパーティ製ヘッドセットと評価されました。
8月には、ヘッドホン事業をさらに一歩前進させ、Image S4iとS2mのヘッドセットを発表。
また、手頃な価格のHDシアターシリーズを発表し、高解像度の画像にはハイレゾ・サウンドが必要であることを証明しました。
2010年
同社初のオンイヤー型サウンドソリューションであるImage ONEを発売、ヘッドホンのラインナップをさらに充実させました。また、Image S4iは2010年のCESイノベーションアワードを受賞し、ProMedia 2.1 WirelessはMaximum PCによって「ベスト・オブ・ザ・ベスト」リストに選出されました。
Klipschは、ワールドシリーズ・オブ・ポーカー®(WSOP)の公式ヘッドホンスポンサーに就任。
Klipsch Group Inc.は、ブランド横断的に互換性のある5つの全く新しいサブウーハーを発表し、業界に再び衝撃を与えました。
2011年
Klipsch Group, Inc.はAudiovox Corporation(NASDAQ:VOXX)の完全子会社となり、その後まもなく、フレッド・S・クリプシュはVoxxの取締役に就任。ポール・ジェイコブスがKlipsch Group Inc.のCEOに任命されました。
Jamo製品の設計・開発部門はインディアナポリス本社に移転し、フランス、パリにKlipsch Group Europeの新たな本社を設立。
インディアナポリスで有名な屋外円形劇場はKlipsch Music Centerとなり、Live Nation Entertainmentとの素晴らしい関係をさらに強固なものにしました。
2016年
70周年を記念して、クラシックなHERITAGEシリーズの特別バージョンを発売するとともに、革新的なHERITAGEワイヤレススピーカーとパワード・オーディオソリューションを発表しました。
2018年
ハイレゾのワイヤレスホームシアターと音声起動スピーカーを発表。