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伝説

ポール・ウィルバー・クリプシュ(PWK)は、アメリカにおけるオーディオ業界のパイオニアであり、非常に個性的で、エンジニアリング・アンド・サイエンスの殿堂の誇り高いメンバーでした。そして、後世の音楽愛好家に多大な影響を与えるスピーカー技術が彼の情熱によって生み出されました。

ブリキ小屋

1946年、アーカンソー州ホープの小さなブリキ小屋で、破天荒な奇才ポール W. クリプシュが、自宅のリビングでライブ音楽を再現することを目指し、後に伝説となるKlipschorn®スピーカーを自ら設計・製作しました。

この上々の出だしからKlipschの類まれなる歴史が始まったのです。

ブリキ小屋は今ではキャビネットの生産ラインを備えた本格的な工場となり、本社はインディアナ州インディアナポリスに移転しましたが、トップレベルのスピーカーを作り出すという使命は今も変わりません。

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伝承

ポール W. クリプシュがコーナーホーン型スピーカーの設計を改良したのは、アーカンソー州ホープにある軍のSouthwest試験場に勤務していた時のことで、 彼の士官宿舎を訪れた人々はその臨場感あふれる再現性に感嘆し、彼にスピーカーの製造事業を始めるよう勧めたのです。

1945年にスピーカーの特許を取得した彼は、1946年にはKlipsch & Associatesという社名を登録し、1948年に最初の従業員を雇うまで、自らの手でスピーカーを作り続けました。

「ポールは、数多くの職業を選択することができたであろう紛れもない天才でした。

しかし、彼がオーディオを選んだことで、世界はずっと良くなったのです。」

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Klipschorn®

Klipschorn®

1999年に収録されたインタビューの中で、ポール W. クリプシュは、Klipschorn®という名称は自身が名付けたものではなく、Klipsch & Associatesの黎明期にニューヨークのある人物を訪問した際、驚くべきことにその眼識のある客はすでにこの画期的な新型スピーカーのことを知っており、「あなたのコーナーホーン型スピーカーについては詳しく伺っています。Klipschorn®って名前で呼んでますよ。」と、語ったのがきっかけです。

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彼の偉大さの証明

家の中で生オーケストラの音を再現することが可能であると証明したKlipschorn®は、
競合製品が次々と登場する中、70年以上にわたって生産され続けている世界唯一(*)のスピーカーです。
*2024年12月現在 Klipsch社調べ
そして今日でも、ポール W. クリプシュが望んだ通りに、アーカンソー州ホープでハンドメイド生産されているのです。

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HERITAGEスピーカー

Klipschorn®の他にも、Heresy、La Belle、Shorthorn、Cornwall、La Scala、Belle Klipschなど、ポール W. クリプシュが開発したスピーカーは広く知られることになり、これらのスピーカーの原理は、現在Klipsch全てのスピーカーに活かされています。今でも世界中で販売されているKlipschorn®、La Scala AL5、 Cornwall IV、Heresy IVで構成されるKlipsch HERITAGEシリーズは、今でも世界トップレベルのスピーカーのひとつと考えられています。

「もしも私のオーディオ再生に関する理論と、製品が間違っていることが証明される日が来るとしたら、それは物理法則そのものが変わる日だ―PWK」

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「くだらん(Bullshit!)

1960年代、ポール W. クリプシュはマーケティング代理店との会議中に、手にしていたオーディオ雑誌を空中に放り投げ、「くだらん!(Bullshit!)」と叫びました。それは他社製スピーカーの広告で、「さらなる革新技術が誕生」という謳い文句が繰り返されることに嫌気がさしていたのです。

この時、「Bullshit」というスローガンが生まれただけでなく、広告やパンフレットでは「Ho Hum Another Major Breakthrough(またしても退屈な技術革新が誕生)」も誕生しました。

そして、妥協を許さない彼の姿勢を誇示する「Bullshit」という言葉を印刷したプラスチック製の黄色い襟ピンバッジを展示会で配布したのです。

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さらなるダメ出し

彼の地元の教会の牧師たちにとって、これは不思議でも何でもありませんでした。というのも、彼はよく礼拝の後に教えの問題点をたくさん書いたメモを突き付けることがあり、時にはコートの片側を開いて「Bull」と書かれた文字を見せ、もう片側には... そう、お察しの通り続く言葉が書いてあったのです!

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殿堂入り

1978年、ポール W. クリプシュ氏は、スピーカー設計と歪み測定への貢献が評価され、オーディオ・エンジニアリング協会(Audio Engineering Society)で2番目に高い栄誉で権威あるシルバーメダルを授与されました。これにより、5年後にオーディオの殿堂入りを果たしたのです。

さらに、1997年には、トーマス・エジソン、ジョージ・ワシントン・カーヴァー、ライト兄弟などと同じく、エンジニアリング・アンド・サイエンスの殿堂入りを果たしました。エンジニアリング・アンド・サイエンスの殿堂とは、工学と科学の原理を応用した実績により、人類の生活の質を向上させた人物を表彰するものです。

2004年には、全米家電協会(CEA)により、コンシューマー・エレクトロニクスの殿堂入りを果たしました。同協会によって2000年に設立されたこの殿堂は、創造性、忍耐力、決断力を発揮して今日のコンシューマー・エレクトロニクス業界を築き上げたリーダーたちを称えるものです。

ニューメキシコ
州立大学

エルパソ高校を卒業後、ポール W. クリプシュはニューメキシコ州立大学に入学し、大学バンドでコルネットを演奏し、ライフル射撃チームのメンバーとして受賞も経験しました。
のちにマーチングバンドのメンバーとして過ごした4年間が、音楽と楽器に対する愛情と知識を育むのに役立ったと述べています。

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誇り高き
退役軍人

ポール W. クリプシュ氏は第二次世界大戦中、米国陸軍に所属し大佐の地位にまで昇進しました。アーカンソー州ホープにあった軍のSouthwest試験場に勤務していた時に、コーナーホーン型スピーカーの設計を工夫し、彼の士官宿舎を訪れた人々はその臨場感あふれる再現性に驚き、彼にスピーカー製造の事業を始めるよう勧めたのです。

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鉄道、南米チリ、
そして
スタンフォード大へ

ニューメキシコ州立大学を卒業後、General Electric社の掲示板に貼られた求人広告に応募してGEに入社したのは1928年のことでした。GEでRCA向けに販売するラジオの設計に携わったのち、3年間、南米チリで電気機関車のメンテナンスを行う仕事を経て、スタンフォード大学院に入学。大学院で工学の学位を取得後、テキサス州の石油会社2社で地球物理学者として働きました。

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飛行機

「私が最初に愛情を注いだのは鉄道だが、1911年にリンカーン・ビーチー機がパデュー大学のスタジアムに飛来するのを見て、飛行機に一目惚れした。鉄道への愛を捨てたわけではなく、ただ両方好きになっただけだ。」と語るポール W. クリプシュ。そんな彼が飛行機を危険なほど極端な姿勢で操縦し、見物人から悲鳴が上がったというエピソードがあり、一体何をしていたのかと尋ねられた彼は「エンジンをかけたまま飛行機を失速状態にすると何が起こるのかを確かめていた。」と答えたのであった。そして、こう続けた。

「オーディオは趣味であり、その後、職業としたが、アマチュアとは好きなことを極めようとする人であるという点で、私は今でも自分自身をアマチュアだと考えている。」

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クリプシュが
残したレガシー

ポール W. クリプシュのオーディオ業界での経歴は、アメリカで最初のスピーカー会社を設立した1946年から、2000年にオーディオ・エンジニアリング・ジャーナル誌に彼の論文が掲載されるまで続きました。その間、彼は23件の特許を取得し、2002年5月5日、98歳でこの世を去りました。

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